ペール・ラシェーズ墓地等写真探訪--クルティウス著『フランス文化論』をめぐって(1)

 

〔関連記事〕
先史遺跡から考えるフランス人の文明観--クルティウス著『フランス文化論』をめぐって(2)」(2017年5月)

続 ペール・ラシェーズ墓地等 写真探訪--クルティウス著『フランス文化論』をめぐって(1-2)」(2016年9月)

町の紹介: アルル」。末尾部分で、ローマ時代に遡るアルルのアリスカンの墓地についてふれています。(2016年2月)

 

ドイツのロマンス語文学研究者であり文芸批評家でもあったクルティウス (Ernst Robert Curtius, 1886-1956) はその名著『フランス文化論 Die Französische Kurtur 』(1930) で次のような意味のことを述べています。

フランス人は追憶と過去の中に生きる程度が強い。フランス人にとって過去は一伝統の現存である。歴史に関する思考形態は発展よりも、存続である。過去は現在 によって排除されることはなく、その価値は少しも減じない。過去の大作家は、その時代の表現、ある歴史的段階の証人と考えられるのではなく、時間を超えて 永久に妥当する、人間精神の代弁者と考えられる。死者に対する崇敬こそがフランス精神の著しい特徴をなしている。

ここからクルティウスはパリの墓地、中でも有名なペール・ラシェーズの墓地 Cimetière du Père Lachaise  へと論を進めます。引用してみましょう。

「パリの墓地は旅行者に忘れがたい印象を与えるだろう。モンパルナスの墓地モンマルトルの墓地、わけてもペール・ラシェーズの墓地である。ここで死者は緑の塚の下ではなく、石造りの家の中に憩うている。家は寺院か礼拝堂の形をなし、鉄の柵で囲われている。このような墓の多くには、 Concession à perpétuité〔永久居住地〕という銘が刻してある。この墓地は第二の都である。生の光の都 Ville Lumière〔パリは古来こう呼ばれている〕に包含される、死の石の都である。そこにはモリエールとラ・フォンテーヌが並んで寝ている。また十九世紀の 栄冠の所有者が並んでいる。ミュッセ、ショパン、バルザック、アングル、ドラクロワ、コント・・・。そうして彼らの墓はいつも花で飾られている。無数の崇 拝者が訪れるのである。中にははるばる遠方から来る人も少なくない。この閑寂な墓の都に佇んでいると、誰しもいにしえの人々のように、死者の魂魄が墓にとどまっているものと考えたくなるであろう。
パリにはこの死者に対する崇敬が、ほかにも数々の壮大な記念物を有している。フランス国民がその偉人を祭るパンテオンや、ナポレオンが壮麗な斑岩(はんがん)の石棺に憩うているアンヴァリッド〔廃兵院〕のドームや、無名戦士 le soldat inconnu が葬られている凱旋門など。無名戦士の墓の上に燃えている小さい焔は、騒然たる市街雑踏の中にあって、(・・・) フランスの魂に深く根ざしている死者崇敬の念を象徴するものである。」
(E.R.クゥルツィウス『フランス文化論』、大野俊一訳、みすず書房、1989年〔現在は絶版〕、283頁〔訳文は一部変更してあります、また強調は引用者によります〕)

なお、キリスト教は来世での救いに目が向いているためか、死者崇敬の念は希薄であるとよく言われます。もしそうとすると、クルティウスはふれていませんが、 フランスでのこの死者崇敬の念は、キリスト教以外の、つまり異教的な要素の名残と考えられるのかもしれません。また、フランス、パリで墓地というと、カタコンベ(フランス語ではカタコンブ catacombes)、つまり地下墓地を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、今回はクルティウスがふれているものに限って、以下に写真で紹介することにします。

(2012年7月5日、2015年9月写真追加)

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クルティウスが語る「石造りの家」、つまりフランスの墓地で見かける家型の墓については、フランス語でしか読めませんが、Wikipedia フランス語版の “Caveau funéraire” (地下埋葬室) の項目が参考になります。小項目ですが内容は次のようです。
ヨーロッパの中世には貴族以外に個人の墓はなかった(集合的な地下墓所が使われていたらしい)。18世紀から、墓所は教会内から都市や村落の入り口近辺に移った。19世紀からは、豊かなブルジョワたちによって家型の墓--chapelle funéraire (埋葬礼拝堂) と呼ばれ、地下埋葬室を備えている--が作られるようになった。ちなみに、ペール・ラシェーズ墓地における最初の chapelle funéraire は、1815年に作られた。

一方、Wikipediaフランス語版の “Cimetière du Père-Lachaise” (ペール・ラシェーズ墓地) の項目などによれば、クルティウスのふれている、17世紀の作家モリエールの墓 (Wikimediaの画像) と、同じくラ・フォンテーヌの墓 (Wikimediaの画像) は、1817年にペール・ラシェーズ墓地に移設されたとのことです。同年には、12世紀の神学者アベラールと修道女エロイーズの墓 (Wikimediaの画像) も移設されました。(Wikipedia 英語版の “Père Lachaise Cemetery” の項目のみ、モリエールとラ・フェンテーヌの遺骸の移設を1804年としています。)

クルティウスの言うことと併せて考えると、フランス人は伝統的に死者崇敬の念を持っており、この伝統を基盤として、19世紀に至ってペール・ラシェーズをはじめとする墓地に家型の墓がたくさん作られるようになり、ペール・ラシェーズの場合には、過去の偉人の墓の移設も行われた、ということかもしれません。しかし、フランスの墓については、さらに慎重な検討が必要であろうと思います。

なお、今日では、こうした家型の墓が作られることは減っているとのことです(フランスの地方紙 ouest france のオンライン版の記事より)。
以上、caveau funéraire, chapelle funéraire  については、現在ナントに長期滞在中の寺田元一さんから貴重な情報を寄せていただきました。寺田さんのサイトでは、本記事にも関係しますが、ナント郊外の L’arboretum du cimetière parc という墓地での体験をもとにしたフランスの万聖節についての興味深い記事を読むこともできます。

 (2016年10月26日/11月3日)

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それではクルティウスに導かれて、まずペール・ラシェーズの墓地を訪れてみましょう。

 

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ペール・ラシェーズの墓地は奥が深く広大です。

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この墓は中が覗けてしまいますが、さすがにややすさんだ印象です。

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有名なイタリア人作曲家の墓

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アルフレッド・ドゥ・ミュッセ、19世紀フランスのロマン主義文学者。

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コレット、20世紀前半のフランスの女流作家。実は、紹介できる著名人の墓は、
ペール・ラシェーズの墓地の入り口付近のもの限定なのです。

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写真の中央左側の黒い墓石に、籠目紋(かごめもん)のしるしが刻まれているのが見えます。これは実はユダヤ教のシンボルである「ダビデの星」で、ペールラシェーズの墓地にはユダヤ教徒も埋葬されていることがわかります。

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これは、パリからトゥール方面へ向かうバスの車窓からとった、ふつうの墓地の写真です。新しい一般的墓地ではもう家型 (箱型) の墓は使われないようですが、この墓地では多くの墓石のあいだに、家型の墓を見ることができます。

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こちらは南仏エクサンプロヴァンス近くのサロン Salon という町の墓地。
伝統のある墓地と思われ、上の写真に比べて家型の墓がずっと多いように見受けられます。 やはりバスの車窓からの撮影。(2015年9月撮影、追加)

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こ れはパリのパンテオン(Panthéon)。語源的には「pan すべての,théon 神(のための神殿)」で、本来は、古代ギリシア・ローマで神々を祭った「万神殿」のことでした。パリのこの重要な施設について本稿ではこれ以上ふれること はできません。当面は、次のリンクからWikipedia(日本語版/フランス語版)をご覧下さい。特にフランス語版は画像も豊富です。

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こちらはパリのアンヴァリッド(les Invalides, 廃兵院)の外観。左はエッフェル塔。

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アンヴァリッドのドーム

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「ナポレオンが壮麗な斑岩(はんがん)の石棺に憩うている・・・」

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ナポレオンの石棺の真上はこうなっています。

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パリ、エトワール(広場)の凱旋門〔広場の現在の正式名称はシャルル・ドゥ・ゴール広場〕。門の上端に多くの人影が見えます。この有名な凱旋門についてもWikipedia(日本語版/フランス語版)を参照して下さい。

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門の下の部分にある第一次世界大戦の無名戦士の墓。
「無名戦士の墓の上に燃えている小さい焔は、(・・・) フランスの魂に深く根ざしている死者崇敬の念を象徴するものである。」

(2012年7月5日、2015年9月写真追加)

 

〔このページ上部の写真〕
パリ。セーヌ川の中州シテ島から下流方向を望む。左のドームはフランス学士院、右はルーヴル宮(現ルーヴル美術館)の一部。

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