モントリオール Montreal の不安と悦楽

(名古屋大学言語文化部広報委員会『言語文化部だより』No.45 (2001年10月1日) より)

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参考文献を文章中に掲げています。

本記事の内容は2001年時点のものです。関連サイトへのリンクがつながらなく
なっている場合があることをご了承下さい。(2015年11月追記)

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上の写真は冬のモントリオール都心部の夕景 (Wikipedia より)。

I. 到着まで

この文章が読者の目にふれるときはまだ夏のなごりが感じられる時期ではなかろうか。厳寒のカナダの冬の話なので、次の冬を思い浮かべて読んでいただくとしよう。

私の手元に、17世紀末にカナダに行き『アメリカの未開人との対話』を著して「良き未開人」の神話を予示したフランス人ラオンタン男爵の著作集がある。出版元はモントリオール大学出版局。在外研究に出ることにはなったが期間は2カ月。腰を落ち着けて研究、とまではいかない期間だから自分の世界を広げてみるのもよかろう。そこで2001年2-3月の2カ月の大半をカナダ・ケベック州の中心都市モントリオールで過ごす計画を立てた。現在のケベック州に当たる地域にはかつてフランス人が入植した。この地域は、18世紀にイギリスに割譲され、イギリス植民地の一部として歩むことになるが、よく知られているように、その大部分は現在もフランス語圏である。

モントリオールに昼間の内に入ることを優先したため乗り継ぎに時間を取られ、自宅からなら22時間にもなる長旅だった。機内で-7゜Cだと告げられていたモントリオールは心配していたほど寒いとは感じなかった。ただ、大都市にしてはさびれた感じの空港に到着した時には雪が降りしきり、一帯が雪の中で、やはり北国に来たのだなと実感した。市街地の車道は雪がシャーベット状で車がのろのろ運転、歩道は完全に雪に覆われていた。

摩天楼の足元の教会。この教会の真下はショッピング・モールになっている。

 モントリオール市は人口180万人、「大モントリオール圏」で340万人ということで、都市の規模としては名古屋に近い。ホテルに着いてから ちょっと乗ってみた地下鉄(路線数は3本+ごく短い1本)は、1966年に初めて通ったようだが、すでにすさんだ印象でパリのそれに雰囲気が似ている。だ が、気象条件から発達した地下街の方は、場所によっては新しくきれいでしゃれている。日本の地下街とは違い、一つのビルの地下から他のビルの地下へと、迷路のようにつながっている印象だ。町でしゃべられている言葉は、この日の市中心部での体験から言うと、フランス語7割、英語3割といった印象だった。

このモントリオール初日は、実は寒さよりも、逆にその「暑さ」に閉口した。地下街やビルの中、地下鉄の構内・車内などがポカポカに暖房してあるので、寒さに備えた服装をしていた私はすぐに汗びっしょりになってしまった。

II. 気候

2月中は天候は晴れたり曇ったり、曇りのときには雪が舞うことがある、といった感じで、たまに一日中雪の日がやってきた。冬の最も寒い時期はちょうど過ぎ去ったところだったようだ。

外出する昼間の時間帯は-5゜くらいのことが多かったが(最低気温は-15゜くらい)、日本で冬、スキー場に行ったときの感じと似ている。外を歩くときは「耳当て」をし、時には帽子をかぶった。-10゜以下になると顔が痛く感じるようになり、長く外を歩くのは大変な苦痛になることもわかった。 日中でもずっと-10゜以下の日もあったし、普通でも夜にはこのくらいになった。また、気温はそれより高くても、風の出方によっては同じように感じる。こ うした状態では「目出し帽」がほしいと切実に感じた。ただ、こんなときでさえ、モントリオール人には帽子もかぶらず、耳も隠さずという人がかなりいる。長 くは外を歩かないようにしているのだろうか。女性のスカート姿はさすがにほとんど見かけなかったが、いることはいた。でも100人に1人以下だったと思 う。

こんな状態が続き、もう春は来ないのではと心配になり始めたころ、3月5日ごろから気温がやや上がり、連日最高気温がプラス(+1゜と か+2゜とか)を記録するようになった(最低気温の方は-5゜前後)。名古屋あたりの冬でも十分考えられる気温になり、天気の方も晴れの日が増えてきた。 だが、結局この状態が長引き、そのまま春とはいかなかった。私は、春のきざしが感じられただけのモントリオールを後に次の訪問地ジュネーヴに向かうことに なった。

・インターネット上の新聞 Le Matinternet (フランス語) [http://www.matin.qc.ca/indexcyra.html](次節で掲げる通常の新聞のサイトと同様、リアルタイムのモントリオールの気温を確認することができる。)

III. 町

モントリオールはフランス語名モンレアル(Montréal)の英語読み。これはフランス語の mont [モン] と、réal [レアル] (これは royal [ロワイヤル] の古形)が合体したもので、本来「王の山」の意味であり、町の中心部を占める小山の名に由来する。この小山は現在、現代語化されて、Mont Royal [モン・ロワイヤル] と呼ばれている。モントリオールは、アメリカ合衆国の都市にも似て大自然の中にこつ然と姿を現した都市という印象だ。ケベック州最大の都市である(州都は東方へ車で3時間ほどのケベック市)。

ケベック州は面積こそ約170万 km2 で日本の 4.5 倍もあるが、南部のセントローレンス川沿いに集中する人口は740万人ほどで愛知県の人口とさして変わらない。その内フランス語系が8割強600万 人ほどを占める(後は英語系と仏英語以外の言語系が約1割ずつ)。フランス語系は他にオンタリオ州などにも住み全体で750万人弱とされるが、こうしたフ ランス語人口をその40倍にもなろうという北米の英語人口が取り囲んでいる。これがケベックのフランス語系住民の一種の不安の物質的根拠である。こうした中、カナダ政府が英仏両国語を公用語としているにもかかわらず、州政府は1974年以来フランス語だけを公用語としている。現在この州は、フランス語系住民を基盤に州の独立を志向する「ケベック党」の政権下にある。

モントリオール都市圏では、フランス語系住民が55%ほど、英語系が25%ほど、英仏語系以外、つまり英仏語圏以外からの移住者が20%ほどとされる。こうした移住者のかなりの割合が英語に移行していく現象があるものの、住民の8割以上はフランス語で会話ができるとのことだ。地下鉄の車内放送・電光掲示はフランス語のみ(安全に関わる注意書きのみ英仏併記)。商業広告のたぐいもフランス語が基本。これらは基本的には、1977年にケベック党の下で制定された「州法101号」(別名「フランス語憲章」)が定めたところを継承している。しかし、大学は英語系・フランス語系それぞれがあり、映画館、テレビチャンネルなども両系統がある。プロ野球やプロ・アイスホッケーのチームがアメリカのリーグに参加(あるいは統一リーグを形成)するなど、英語系勢力のプレゼンスは大きい。

・『ケベックではフランス語を』(日本語版)ケベック政府言語政策事務局、1997
(このパンフットは http://www.spl.gouv.qc.ca/publication/vivreenfrancais.html で閲覧、ダウンロードできる。)

マギール大学構内からダウンタウン方向を望む。
手前はアイスホッケーをする学生たち。

 町の様子はといえば、ダウンタウンには摩天楼が林立するが、その間に教会などの歴史的建造物も点在している。ケベックの経済は低空飛行のようだ。そのためか若者は質素。街頭には mendiant(e) = beggar の人たち。寒い中で体は大丈夫なのかと心配になる。街頭(というより季節のせいで主に地下鉄構内)にはまたミュージシャンたち。こちらは楽しめる。町を歩 く人は白人が主流ではあるが、多様だ。アジア系の人もたくさん見かけるが、その全体の中では日本人の割合はごく低い。滞在する日本人は英語を学ぶ学生が中心のようだ。彼らの間では、この町は英仏両系統の言語と文化が共存しておしゃれという評価らしい。

歓楽街の一つクレセント通りの昼。低層の建物は住宅にも見られる伝統的スタイル。
ここではレストラン、クラブなどが入る。背後にはモン・ロワイヤルの丘。
車は昼でも走行中は点灯する。

 町にはレストランが多くて安い。残念ながらケベック料理にはさほど見るべきものがないようだ。多種多様なエスニック料理のレストランが多い。 演劇、美術館なども、ヨーロッパの著名都市のようにはいかないとしてもそれなりに楽しめた。夏には国際ジャズフェスティバルを始め各種フェスティバルから F1レースまで催し物が目白押しのようだ。外せないのはナイトライフで、モントリオールは北米東部で随一の歓楽街を抱えているという一面を持っている。

旧市街はほんの限られた範囲(1.5km × 0.5kmほど)で、ヨーロッパの古い都市とはくらべるべくもないがやはりそれなりに楽しめる。植民地時代の姿をよく残した教会など、ヨーロッパにはない様式で強い印象を受けた。

このようにモントリオールは楽しい。76年のケベック党の州政権掌握、77年の「州法101号」制定などを契機に、多くの英語系住民がトロントやニューヨークへ脱出したというが、とくにトロントへの脱出組には、その後モントリオールに舞い戻った人たちも多いという。

旧市街の港に面した植民地様式の「船乗りの教会」 (右) 。

・ヤフー・カナダ [http://ca.yahoo.com/]

・モントリオール市のサイト(フランス語)[http://www.ville.montreal.qc.ca/]

・ケベック州政府(フランス語)[http://www.gouv.qc.ca/] (英語 [http://www.gouv.qc.ca/Index_en.html])

・ケベック州政府在日事務所(日本語)[http://www.mri.gouv.qc.ca/tokyo/jp/]

・ケベック州政府観光局(日本語)[http://203.138.209.205/bonjourquebec/]

・モントリオールの新聞 La Presse (フランス語)のサイト [http://www.cyberpresse.ca/]

・同じく The Montreal Gazette (英語)[http://www.canada.com/montreal/montrealgazette/]

・ラジオ・テレビ局のサイト(フランス語) [http://radio-canada.ca/] (”ZapMedia”から動画・音声を視聴することができる。)

・同(英語)[http://www.cbc.ca/] (動画・音声を視聴することができる。)

・原章二「ケベック便り 1-9」、『ふらんす』1998年6月-1999年3月。(原氏はすでにこの中で「モンレアルの不安とよろこび」を指摘している。)

IV. 大学・書店

大学は4つある。カナダの大学は独特で、現在ではどの大学にも、国と民間の双方から資金が入っているとのことだ。私が通ったモントリオール大 学はフランス語系で、キャンパスはかなり広く名大並みといった印象。モントリオールは人種のるつぼだが、学生は白人が大多数だ。教員も白人が大多数と思われる。カナダの大学は4月には試験を終わって、5、6、7、8月と4カ月夏休み。合理的でうらやましい。

モントリオール大学(奥)。

 書店は、フランス語系としては地元資本のルノー・ブレ Renaud-Bray というところが大規模店も含め10店舗ほどを展開している(余談だが、この書店のインターネット上のサイトから購入できるケベックで販売されているフランス語版のVHSヴィデオは日本のヴィデオデッキでそのまま再生できる)。しかし、専門書は手に入りにくく、ここはパリではないのだと認めざるをえない。しかも、フランス語系の本屋は市の中心部にはない。ダウンタウンの二つの英語系大型書店ではフランス語の本はせいぜい2割ほどだ。

そんなこともあって、ダウンタウンの中心で人の話す言葉をあらためて聞いてみると、英語の比率が高くて5対5くらいの気がしてくる。これには、英語系のマギール McGill 大学がそばにあること、また、結構多いらしい旅行者は大体英語を話していることも影響しているかもしれないが、とにかく、ビジネスマンも含め、市の中心部に出入りする人は相対的に英語系が多い。

ダウンタウンからマギール大学を望む。背後にはモン・ロワイヤルの山。

・モントリオール大学(フランス語系)[http://www.umontreal.ca/]

・ケベック大学モントリオール校(フランス語系)[http://www.uqam.ca/]

・マギール大学(英語系)[http://www.mcgill.ca/]

・コンコルディア大学(英語系)[http://www.concordia.ca/]

・ルノー・ブレ書店(フランス語系)[http://www.renaud-bray.com/]

・インディゴ書店(英語系)[http://www.indigo.ca/] (このサイトはもう一つの大型英語系書店チャプターズのサイトと共通)

V. ケベック・フランス語

モントリオール人の多くが英仏両語を話す(この町の労働人口の64%が英仏のバイリンガルという)。ホテルの従業員たちも多くがこの両語を話すのはちょっと感心した。同じ仲間があるときはフランス語で、あるときは英語で話していたりする。

そのフランス語だが、マスメディアで使われるものはフランス本国のものと変わらない。大学でも教員は標準的フランス語を話す。しかし、学生が各自発表する場合など、何を言っているのかよくわからない場合が多かった。市中で店の店員が話す言葉がわからない場面にもいろいろ遭遇した。

ケベック・フランス語の特徴の一つは、英語の影響で二重母音(とくにアイ)が入り込んでいることのようだ。例えば、seize [セーズ、16]は「サイズ」と発音し、私は当初何のことかわからなかった。mayonnaise [マヨネーズ]は「マヨナイズ」である。他にも母音の発音に差がある。リズムやアクセントも違う。さらに、語彙の違いもある。ただ、学校では標準的なフラ ンス語を教えることになっており、皆自分たちのフランス語が独特だという自覚はあるから、特に私のような外国人には「よそ行き」の言葉が話されることもあ るようだ。

・La Francophonie (dir. Jean-Louis Joubert),  CLE International, Paris, 1997.

VI. 歴史と軋轢

周知のように、カナダの地に最初に定住したヨーロッパ人はフランス人だったが、18世紀中葉の英仏植民地戦争にフランスが敗北し、この地は すっかりイギリスに割譲された(当時のフランス系人口は6万5000人といわれる)。つまり、フランス系住民は「先住民」で「植民地支配」をされたという 側面をもつ。それ以来、フランス系は本国と切り離されながらも、ケベックの地で多数派でありつづけようと「産めよ殖やせよ」と奮闘した。15人から20人 も子供のいる家庭もまれではなかったという。これは「揺りかごの復讐」と呼ばれた。当初はフランス系住民の言語・慣習を認めていたイギリス側も、19世紀 中葉にはフランス系をイギリス系に同化吸収しようとする方針を出したりした。しかし、フランス系はこれに屈せず、双方の対立抗争はさまざまに形を変え、 20世紀に至るまで継続されていく。

その間、イギリス系が経済を握っていたため、英語が職場の、商取引の言語となっていった。あらゆる職場で英語を使うよう求められ、デパートな どでも英語でないと買い物ができないなどという、にわかには信じられない状況が、モントリオールでも25年くらい前まで存在したようだ。フランス語系の店員とフランス語系の客が店では英語でやりとりをしたという。英語を解さない人は英語の分かる人の助けを借りて買い物をしたともいう。1977年に上に見た 「州法101号」が制定されて、ようやくこうした状態は解消された。この法律は、職場でのフランス語の使用を命じ、教育も英語系住民以外はフランス語によ ることとした。なお、現在はもちろん英語でも買い物はできるのでご安心を。

市の中心部に英語系書店しかなく、英米系企業が主流なのも、かつてイギリス系が経済を掌握していたことの延長上にあるのだろう。だから、フラ ンス系の人たちの一部にはいまだイギリス系に対するしこりが残っている。現在のケベック州政府のフランス語化政策を評価する際にもこうした歴史的背景についての知識は欠かせない。

・La Francophonie. (dir. Jean-Louis Joubert) CLE International, Paris, 1997.

・『史料が語るカナダ』、日本カナダ学会編、有斐閣、1997。

VII. 移民

フランス語・英語の比率の問題は人種の問題とはまた別だ。モントリオールは人種のるつぼだ。これは勿論カナダが、労働力確保の意味もあって移民を一貫して受け入れてきた結果である。

ケベック州も、毎年実に約100カ国から30,000人近くの移民を受け入れているという(カナダ全体では受け入れ数は年に200,000人 に上る)。受け入れる人の選定は、カナダ政府との了解に基づいてケベック州政府が行っているとのことだ。政治難民 réfugiés = refugees としてやってくる人たちもいる (カナダ全体で年に10,000人ほど、その内ケベック州が7,000人前後を受け入れている) 。中南アフリカの多くの国々からの例が目立つが、それに限らない。アフリカからのこうした人たちと接する機会があったが、彼らは、母語であるとは限らないフランス語ないし英語を高い水準で運用し、自国ではエリート層だったのだと思われる。他方、メキシコからの移民の中には、カナダに何年もいてもスペイン語だけで何とかすませているらしい人も見うけられた。私は他にも、アルジェリア、イラン、アフガニスタン、パキスタン、スリランカ、マレーシア、ロシア、イスラエル(ロシア系住民)、ペルーなどからの移民の人たちとも言葉を交わすことができた。

母国で問題がある場合は、移民としてカナダにやってきて平和な一定水準の生活が得られることはすでに価値があろう。ただ、新天地を求めてやって来る彼らも、必ずしも満足のいく職には就けないという話も聞いた。

・カナダ政府移民関連ページ(英語)[http://www.cic.gc.ca/english/immigr/index.html]
(フランス語 [http://www.cic.gc.ca/francais/immigrer/index.html])

・ケベック州政府移民関連ページ(フランス語) [http://www.immq.gouv.qc.ca/francais/index.html]
(英語 [http://www.immq.gouv.qc.ca/anglais/index.html])

・ケベック州移民関係資料 [http://www.immq.gouv.qc.ca/francais/immigrations.html]

・『世界難民白書 2000』、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)編、時事通信社、2001。

・UNHCRホームページ(日本語版) [http://www.unhcr.or.jp/]

VIII. 不安と悦楽

ヨーロッパのフランス語圏と違い、ケベックのフランス系住民には自らの存在についての不安がつきまとっているように感じられる。英語系に「吸収」されようとした不安な歴史を経、今また国際化、「グローバル化」の進展の中で強大な英語圏に飲み込まれる不安を感じているのではないか。ケベック政府言語政策事務局のパンフレットは率直に「不安」という言葉を使っている。他方、州内で少数派として生きる非フランス語系住民も、彼らなりにやはりこの不安の余波を受けているはずだ。

しかし、それだからこそモントリオールの人たちは、使用言語にかかわらず皆生活を楽しもうとしている、そう私には感じられた。厳しい自然の中で、彼らはしたたかに生き抜いていた。

車道と歩道に除雪車が出ている繁華街。

 


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