続 ペール・ラシェーズ墓地等写真探訪--クルティウス著『フランス文化論』をめぐって(1-2)

 

2016年9月、フランスの数都市の大学図書館等で、ある18世紀の刊本の版による内容の異同を調査しました。その一環として大西洋岸の都市ナント Nantes を訪れました。ホテルで町の地図をもらうと、市の中心部から比較的近くに二つの墓地があるのが目にとまりました。本ホームページの記事「ペール・ラシェーズ墓地等写真探訪」で、家型の墓の写真を公開しており、その後もフランスの墓地は気になっていましたので訪れてみました。ナントのこの二つの墓地でもそれぞれ家型の墓を見つけることができました。しかも、一方の墓地の家型の墓は本格的でした。その写真を以下に紹介します。

同じフランス滞在の間には、ペリグー Périgueux 郊外で列車の車窓から墓地の写真を撮ることもできましたので、その写真も掲げます。すでに「写真探訪」の本編に収めている2015年9月撮影の写真も末尾に再録します。これで、2012年7月に「写真探訪」の本編を公開して以降の写真をまとめたことになります。

「ペール・ラシェーズ墓地等写真探訪」の本編とこの補遺で、パリ Paris、パリ圏の南方の地方、サロン Salon(南仏プロヴァンス地方)、ナント Nantes(旧ブルターニュ地方、現ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏)、ペリグー Périgueux(現アキテーヌ地方)の墓地で家型の墓を確認したことになります。(2016年9月21日)

(追記)
フランスの墓地で見かける家型の墓については、フランス語でしか読めませんが、Wikipedia フランス語版の “Caveau funéraire” (地下埋葬室) の項目が参考になります。小項目ですが内容は次のようです。
ヨーロッパの中世には貴族以外に個人の墓はなかった(集合的な地下墓所が使われていたらしい)。18世紀から、墓所は教会内から都市や村落の入り口近辺に移った。19世紀からは、豊かなブルジョワたちによって家型の墓--chapelle funéraire (埋葬礼拝堂) と呼ばれ、地下埋葬室を備えている--が作られるようになった。

なお、今日では、こうした家型の墓が作られることは減っているとのことです(フランスの地方紙 ouest france のオンライン版の記事より)。
以上、caveau funéraire, chapelle funéraire  については、たまたまナントに長期滞在中の寺田元一さんから貴重な情報を寄せていただきました。寺田さんのサイトでは、本記事にも関係しますが、ナント郊外の L’arboretum du cimetière parc という墓地での体験をもとにしたフランスの万聖節についての興味深い記事を読むこともできます。
(2016年10月26日/11月3日)

このページ上部の写真:現在のナントの町。市中心部からトラムで2駅ほど西の一帯。
アンヌ・ド・ブルターニュ橋 Pont Anne de Bretagne の上から 北方向にロワール川
右岸を望んでいる。建物が傾いて見える部分があるのは恐らくは地盤沈下のせい。
(2016年9月撮影)

 

cimg1925-1024x765ナントのミゼリコルド〔慈悲〕墓地 Cimetière Miséricorde の入り口。

cimg1929-1024x768入り口からまっすぐ伸びる中央の通路の両側に家型の墓が並ぶ。
右側の家型の墓の方がやや立派に感じられた。

cimg1930-1024x768こちらは中央通路(上の写真)の左側に並ぶ家型の墓。

cimg1928-1024x768中央通路の右側に並んだ家型の墓の裏側。よく見るとここにも家型の墓が散見される。

cimg1931-1024x768こちらは中央通路の左側に並んだ家型の墓の裏側。さらに家型の墓が列を作っている。

cimg1932-1024x768通路左側二列目の家型の墓(上の写真)のさらに裏側。そこここに家型の墓がある。

cimg1935-1024x756ナントのラ・ブテーユリ〔ビン製造所の意〕墓地 Cimetière de La Bouteillerie の入り口。

cimg1938-1024x768同墓地の内部。家型の墓が見られる。

cimg1635-1024x768フランス南西部ペリグー Périgueux 郊外の墓地。列車の車窓からの撮影。
(以上の写真はすべて 2016年9月の撮影)

CIMG1051atc南仏エクサンプロヴァンス Aix-en-Provence 近くのサロン Salon という町の墓地。
伝統のある墓地であるためか、家型の墓が多いように見受けらる。
(2015年9月、バスの車窓からの撮影)