マルセーユ Marseille

 

2015年9月のほぼ一カ月間、私は南フランス・プロヴァンス地方のエクサンプロヴァンス Aix-en-Provence(エクス Aix)に滞在した。勤務先の名古屋大学とエクス・マルセーユ大学との学術交流の一環であったが、この間、高速バスで30分ほどの近隣の大都市マルセーユ Marseille を2度訪れた(日本ではマルセイユと表記されることが多いが、音はマルセーユに近い)。マルセーユは人口約85万人 (2012年) 、都市圏人口は約170万人 (2009年) で、パリ、リヨンの都市圏に次いで、フランス第三の都市圏を形成している。

この町は文久遣欧使節 (1862年) の頃より海路渡仏する日本人にとってのフランスの主要な入り口であった。商業都市でもあり、観光面の魅力には乏しいと言われたこともある。しかし、大都市として、やはり多くの観光スポットを抱えているようだ。特に、毎年ヨーロッパ各地で順次開催される「欧州文化首都」事業の2013年の開催都市となったことを契機に、博物館、美術館など多くの文化施設が生まれた。ただ、私はそうした施設はほとんど訪れることができなかった。そこでマルセーユのほんの一面ということになるが、訪問時に撮った写真で町の様子を紹介しよう。

なお、写真の説明にはWikipedia フランス語版、英語版、日本語版を参考にした。
(写真撮影: 2015年9月)

Google Map 日本語版のマルセーユの地図はこちら
Wikipedia 日本語版のマルセーユの項はこちら
ページ上部の写真:沖合のイフ島 Île d’If からみたマルセーユの町。

CIMG0486 (1024x768)旧港 Vieux Port.  写真の中景右側に船が停泊しているのが見える。
遠景の丘の上にはこの町のシンボルであるノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド・バジリカ
教会  Basilique Notre-Dame de la Garde も見える。

CIMG0147 (1024x768)午前中、旧港の岸壁には魚市が立っていた。

CIMG0228 (1024x754)旧港のそばの町並み(写真の左手が旧港)
正面は百貨店サマリテーヌ

CIMG0477 (1024x768)凱旋門 Arc de triomphe. 1839年完成。

凱旋門が立つ広場は、かつてエクサンプロヴァンス〔エクス〕方面へ向かう人にために、市壁に門が作られていた場所で、慣習的にポルト・デクス〔エクス門〕Porte d’Aix と呼ばれている。そのため混同によってこの凱旋門自体がエクス門と呼ばれることもある。
この凱旋門は初め旧体制下の1784年に、ルイ14世の功績や、アメリカの独立が承認されたパリ条約を記念して構想された。革命、帝政を経た王政復古時代の1823年に、フランスによるスペイン革命への干渉戦争の勝利を記念して再び計画され、1825年に着工し、1839年に完成した。設計はM.-R. パンショー Michel-Robert Penchaud.

CIMG0237 (1024x768)ヴィエーユ・シャリテ Vieille Charité の正面入り口。

マルセーユの旧港の入り江は西側方向に開いているが、その旧港の北側、ルパニエ Le Panier 地区にヴィエーユ・シャリテ(ヴィエイユ・シャリテ) Vieille Charité 〔旧慈善院〕がある(ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド・バジリカ教会は旧港を挟んで反対の南側に位置する)。この建造物は、17世紀から18世紀にかけて建設された、マルセーユ地区の貧窮者・乞食を保護するための施設(一般施療院 Hôpital général)であった。 ミシェル・フーコー Michel Foucault が『狂気の歴史 Histoire de la folie à l’âge classique』(1962) で明らかにした、社会秩序からの逸脱者たちの「大いなる閉じ込め〔大収容〕le grand renfermement」をこの地域において担った施設である。
なお、一般施療院は、まずパリで 1656年に設立されたが、パリの場合は多くの既存の施療院や教護院 maison de correction を唯一の管理の下に統合したものだった。その後、一般施療院は、マルセーユの他にリヨン Lyon、オーセール Auxerre などにも設立されたという(平凡社『世界大百科事典』「施療院 hospital, hospice」の項)。
Wikipedia フランス語版の記述を参考に、マルセーユのこの施設の歴史を振り返ってみよう。マルセーユでは1641年から仮の施設で貧窮者の収容が始まったが、1654年に恒久施設の建設が計画され、建築家にして彫刻家であったピエール・ピュジェ Pierre Puget (1620-1694)  の設計により 1671年に新施設の建設が開始された。1678 年に北翼、 1704年に礼拝堂が完成し、1745年に至って施設全体が完成した。施設内には乞食だった者たちが働く作業場も設けられていたという。収容者は18世紀中葉が最も多く、1760年には 1000人を数えたという。
フランス各地の一般施療院は、1789年の革命によって、すべて形式的には廃止された。しかし、マルセーユのこの施設には、19世紀にも貧窮者や老人が収容されていた。20世紀前半は軍の用途などに使われ、戦後は貧窮者や貧民救済会の女性たちが住み着いた。1961年に大規模な修復事業が開始され、1986年に至って全体の修復が完了した。現在この建物には博物館なども入っている。
ピュジェによるデザインは極めて意欲的な優れたものと見受けられる。また、私は他の都市の旧一般施療院を見て回っているわけではないので確言はできないが、完成に長い期間がかかったとはいえ、一般施療院としてこれだけの施設を作ることができたのは、やはりマルセーユの町が豊かであったことを示しているように思われる。今日、建物の細部にまで至る修復によって完成時の姿を取り戻し、施設は第一級の文化財となっている。

(追記)私は、2016年9月にトゥールーズを訪れ、この町の一般施療院であったラグラーヴ・サンジョセフ病院 (Hôpital Saint-Joseph de La Grave) 旧館も訪れることができた(あいにく内部までは入れなかった)。それについてはこちらのページをご覧いただきたい。

CIMG0257 (1024x768)Vieille Charité の礼拝堂の正面

CIMG0239m (1024x750)礼拝堂がある長方形の中庭を 3 階建ての東西南北の棟が取り囲む。
各棟の中庭側は回廊になっている。

CIMG0272c西棟 3 階の回廊から見た礼拝堂

CIMG0270 (1024x768)北棟 3 階の回廊から礼拝堂の背面を望む

CIMG0250c礼拝堂の楕円形のドームを内側から見上げる。装飾はなく簡素。

CIMG0236 (1024x754)Vieille Charité の正面 (南面)。建物の切れ目が正面入り口 (上の写真参照) になる。

CIMG0235 (1024x768)Vieille Charité の北向きの背面 (写真中央から右側にかけて) と東側面 (写真左側)。
この建物の外壁は極めて簡素。

 なお、同じルパニエ地区には、旧体制下から病院であったオテル・デュー Hôtel-Dieu (Wikipedia フランス語版) の建物も残っている。旧体制下で、この病院は病人の治療をすべて非聖職者のスタッフに委ねたことを特徴としていたらしい。2013年の欧州文化首都の催しを契機として、この建物は高級ホテルに生まれ変わった。

2014_Marseille_Hotel_Dieu1024旧オテル・デュー Hôtel-Dieu (Wikimedia より)

CIMG0208 (768x1024)ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド・バジリカ教会 Basilique Notre-Dame de la Garde.
海抜154m の丘の上にそびえ立つ。1853年に建造が開始され、1864年に完成した。

CIMG0221 (755x1024)ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド・バジリカ教会の内部

CIMG0215 (1024x768)教会前から丘のふもとのマルセーユの町と沖合の島
--フリウル島 Îles du Frioul とイフ島 Île d’If --を望む。

CIMG0225 (768x1024)沖合の島の望遠写真。
中央手前の島がイフ島、後ろは左右一対になったフリウル島。

CIMG0205 (1024x768)フリウル島行きの船でイフ島に向かう。

CIMG0152 (1024x768)旧港に停泊するヨットと丘の上のノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド・バジリカ教会

CIMG0202 (1024x768)旧港から外海 (地中海) への出口部分にある聖ジャン要塞 Fort Saint-Jean.

CIMG0164 (1024x754)イフ島に接近。マルセーユから片道20分。

CIMG0187 (1024x768)16世紀に築かれた要塞が牢獄に転用された。

CIMG0188 (768x1024)牢獄の内部。修復されたためか意外にきれい。

CIMG0180ang (1024x776)イフ島からマルセーユ市街を望む。
写真ではちょうどイフ島の桟橋に小型の旅客船が接岸しようとしている。イフ島には
防波堤がないため、風が多少強いと旅客船はすぐに欠航する。マルセーユは秋から
冬にかけて北風ミストラルが吹くが、私が隣町のエクスに滞在した2015年9月も、
月の後半になるとイフ島への船は連日欠航状態になった。

(2016年4月14日)