ブリュッセル Bruxelles

 

2017年9月にベルギーの首都ブリュッセルを訪れた。30年以上も前に訪れて以来、2度目の訪問である。名古屋から西ヨーロッパへの現在ただ一つの直行便であるルフトハンザのフランクフルト便でフランクフルト空港に行き、飛行機の乗り継ぎでブリュッセル空港に降り立った。

ブリュッセル首都圏地域(仏: Région de Bruxelles-Capitale)は、人口116万人ほど(2014年)、面積は161平方kmほどの地域である。その中で、ブリュッセルの古くからの中心市街地を中心に南北に広がった地域が、狭義のブリュッセル市だが、その人口は17万人ほど(2014年)に過ぎない。ベルギーは、ほぼ北半分のフランドル(フランデレン)地方 Vlaanderen と、南半分のワロン地方 Wallonie に大きく分かれるが、そこにブリュッセル首都圏地域が加わって、ベルギー連邦を構成しているとのことだ。ブリュッセル首都圏地域は、地理的には南北両地方の境界線から、北のフランドル地方に10km程度入ったところにある。言語的には、フランドル地方では、オランダ語の方言であるフランデレン語が公用語であり、使用言語である。ワロン地方では、フランス語が公用語であり、使用言語である。一方、ブリュッセル首都圏地域は、フランデレン語とフランス語の両方を公用語としているようだ。ただし、実際にブリュッセルに滞在した経験では、町で話されているのはフランス語ばかりで、フランデレン語は全く耳にしなかった。

ブリュッセル首都圏地域はフランス語だけを公用語とするわけではないが、このように主にフランス語が話されている実態もあるので、「フランス語圏」の項目の下に、このブリュッセル紹介の記事を置くことにしたい。

現在、文章の作成に充分な時間を取れないので、まずは今回撮影した写真を中心にアップし、文章は暇を見て補足していこうと思う。写真説明等にはWikipedia を参考にしている。

Google Map 日本語版のブリュッセルの地図はこちら
Wikipedia 日本語版のブリュッセル(首都圏地域)の項はこちら

上の写真: 旧市街から2キロほど東方にあるサンカントネール公園
Parc du Cinquantenaire.  サンカントネールは「50周年」の意。
ベルギーは1830年にネーデルラント連合王国から独立を宣言したが、
その50周年を記念して1880年に開催された博覧会の会場だったのが
この公園とのこと。(写真はWikipedia 英語版の Brussels の項目より)

 

グラン・プラス Grand Place.
尖塔を持つ市庁舎がある広場南側、および西側。広場は前日までの催し物が終わった後だったようだ。

西側(写真左奥) 、および「王の家」のある北側

「王の家」のある北側、写真右端に東側のブラバン公爵の館の一部

東側のブラバン公爵の館(写真左奥)と南側の市庁舎

マヌカン・ピス Manneken Pis (いわゆる小便小僧)〔接近写真はこちら

ギャルリー・サン・テュベール Galerie St. Hubert. 1847年の完成とのこと。

サン・ミシェル大聖堂 Cathédrale St. Michel. 1226年の着工で、1519年の完成とのこと。二つの鐘塔の高さは64m (パリのノートルダム大聖堂の鐘塔は 69m, アミアンの大聖堂は 68m, ランスの大聖堂は 81m)

内部は比較的小ぢんまりとしている。身廊の天井までの高さは25m (パリのノートルダム大聖堂は33m, ランス大聖堂は38m, アミアン大聖堂は42m)

王宮 Palais Royal.
写真手前の道を右方向に進むと次の写真のようにロワイヤル広場に出る。

ロワイヤル広場 Place Royale と聖ヤコブ教会 Eglise Saint-Jacques-sur-Coudenberg.
広場の騎馬像は第一次十字軍(1096年)の指導者ゴドフロワ・ドゥ・ブイヨン Godefroid de Bouillon (1058(?)-1100).  写真の右側奥はレジャンス通り Rue de la Régence で、通りの正面に最高裁判所 Palais de Justice が見える。

芸術の丘 Mont des Arts のふもとからは、上の写真の聖ヤコブ教会の正面を望むことができる。右側手前は王立図書館。

レジャンス通りを南西方向に望む。上に見たロワイヤル広場を背にしての眺め。
正面は最高裁判所。右側は王立古典美術館の入り口。
王立美術館は古典美術館など6館からなる。

ノートルダム・デュ・サブロン教会 Eglise Notre-Dame du Sablon.
上の写真の位置からレジャンス通りを最高裁判所の方向に進むと、美術館と同じ側の先にこの教会がある。

最高裁判所のある高台から北側方向を望む。
高台と低地の境はちょっとした崖状になっており、昇降用の公共エレベーターも設置されている。

ブリューゲルの家(手前の角の家)。前の写真の低まった地域にある。
ピーテル・ブリューゲル Pieter Brueghel (父) は、1562年にアントウェルペンからこの地に移り住み、1563年に結婚、二男一女をもうけ、1569年に40歳を少し過ぎたくらいの年齢でこの地に没した。建物の中には入れない。

上にみた古典美術館の展示。
ブリューゲル(父)『ベツレヘムの戸籍調査 Le dénombrement de Bethléem 』 1566, 115.5 x 163.5 cm. ナラ材に油彩。(以下、タイトルはフランス語を併記する。)
古典美術館(王立美術館全館の収蔵作品の検索はこちら)の展示はすばらしい。ここでは美術館のHPでブリューゲル(父)の真筆として紹介されている収蔵作品の内で私が確認できたものと、それ以外の一点に限定して紹介しよう。

ブリューゲル(父)『イカロスの墜落 La chute d’Icare 』 1558, 73.5 x 112 cm。
キャンバスに油彩。近年、模写の可能性があるいう研究が発表されたとのこと。

ブリューゲル(父)『冬景色 Paysage d’hiver avec patineurs et trappe aux oiseaux 』 1565, 37 x 55.5 cm.  ナラ材に油彩。小型の絵。

ブリューゲル(父)『反逆天使の失墜 La chute des anges rebelles 』 1562, 113 x 163 cm. ナラ材に油彩。

ブリューゲル(父)『東方三博士の礼拝 L’adoration des mages 』 1556(?), 124 x 169 cm. キャンバスにテンペラ。光の反射を避けて斜めから撮影。
なお、美術館HPではペン画 “La Prudence” もブリューゲルの真筆とされているが、ペン画類まで見る余裕がなく、この作品は見ていない。

『バベルの塔 La tour de Babel 』 制作年不詳、175 x 249 cm.
当美術館のサイトによれば、作者はヨース・デ・モンペル2世 Joos de Momper II (1564-1635)、作中の人物はフランス・フランケン2世 Frans Francken II (1581-1642) による。
2017年に日本国内で、ブリューゲル(父)の 『バベルの塔』 (1565年、2作ある同主題の作品のうち小型の方、いわゆる「小バベル」)が展覧され話題となったが、ブリューゲルの 2作がともに高所からの視角で描かれているのに対して、こちらは下から見上げる構図で描かれている。迫力ある大作。
*          *          *
ブリュッセルの王立美術館は傑作の宝庫だ。ぜひ他の収蔵作品も調べてみてほしい。

ブリュッセル自由大学 Université libre de Bruxelles (ULB) の人文系ソルボッシュ・キャンパス Campus du Solbosch の入り口。

図書館

(2017年11月7日)