(‘22.11) 新刊紹介 マブリ『分割されたポーランドを訪ねて』(菅原 多喜夫訳)

 

友人でもある菅原多喜夫さんがガブリエル・ボノ・ド・マブリ『分割されたポーランドを訪ねて』(シス書店、2022年10月、1,364円+税)を翻訳出版しました。以下に紹介します(図像はクリックすると拡大します)。

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ポーランドは多民族を統治下に置く東欧の大国であったが、18世紀には国力に陰りが見えていた。歴史的に選挙王政であったが、ロシアのエカチェリーナ二世(1729 – 1796, 在位1762 – 1796)と関係の深いスタニスワフ二世(1732 – 1798)が1764年に即位したことで危機の局面を迎えた。ロシアの影響からの脱出をはかる貴族たちはバール連盟を結成し、ヴィエルホルスキ伯爵(1730 – 1814または1794)を特使としてフランスに送って援助を求めた。フランスの政治思想家ガブリエル・ボノ・ド・マブリ(1709 – 1785)は、伯爵の求めに応じて、1770年から1771年にかけて『ポーランドの政府と法について』というポーランド改革のための著作を書き上げた(刊行は1781年)。しかし、危機は深まる。介入してきたロシアとプロイセンによってバール連盟は鎮圧され、1772年、ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアという近隣三国に国土の周縁部を割譲することを余儀なくされる(第一次ポーランド分割)。

その後の1776年、マブリは伯爵の招きで初めてポーランドを訪れ、この国の現状と未来について、伯爵や周辺の人物たちと話し合った。この会話をもとに、ポーランド滞在中に著されたと想定されるのが、今回、ガブリエル・ボノ・ド・マブリ『分割されたポーランドを訪ねて』として翻訳、刊行された比較的短い二つの著作である。


二著作はどちらも、パリに住むとされる架空の友人クレアント宛ての書簡という形式をとる。この訳書で初めに置かれている『政治家たちの饗宴』は、マブリがポーランドに到着してまもなく執筆されたと思われる。マブリが旧都クラクフで三人のポーランド人--「閣下」(この人は伯爵だが、文脈から推して高位の職にあり、ヴィエルホルスキとは別人と考えられる)、小貴族、ザクセン系の将軍--と会食した際の会話の報告として書かれている。マブリによれば、ポーランドの不幸は、運命によるものではなく、その政府の堕落の必然的な結果である。また、プロイセン、ロシア、オーストリアといった強国の現実的な覇権の問題である。ポーランドは主権を再確立することから始めなくてはならない。しかし、三国の圧力の下で、現国王の下に結集するのは至難の業である。幸運な大変革への希望も有害なだけであろう。ポーランドの有志はフランスの力に期待するが、フランス自体が再建の過程にあり、即座の援助は困難である。こうして本著作は、当面のポーランドの状況についてのペシミズムに貫かれた分析となっている。

後に置かれる『一七七六年におけるポーランドの政治状況』は、マブリが上述のヴィエルホルスキ伯爵の領地(ホロフフ、現ウクライナ領)に落ち着いてから書かれたと思われる。この作品は、伯爵とマブリ自身の対話の報告というかたちをとる。そこでマブリは、ポーランドにおける農民の隷従状態、ブルジョワジーの未成熟を暴き出す。分割によるポーランドの消滅の可能性を指摘しさえする。とはいえ、有能な貴族指導者を擁してデンマークの支配を打ち破ったスウェーデンや、同じようにしてスペインからの独立をかち取ったオランダに、ポーランドをなぞらえようとする。ヴィエルホルスキ伯爵に対しては、ローマ共和政とその自由の擁護者であったキケロ、隠棲のときにも自らの思考を鍛え続けたキケロのように振る舞うことを勧め、さらに、自らの領地において立法者となれと説く。マブリのポーランドについての認識から、政治指導者の心構えについての見解までがうかがわれる著作である。

さて、マブリが他界した後、ポーランドは第二次分割(1793年)を経て、第三次分割(1795年)によって消滅することになる。マブリはこの消滅を、二著作の時点ですでに予見していたように思われる。なお、冒頭でふれたポーランド国王スタニスワフ二世は、エカチェリーナの傀儡とも思われたが、第一次分割後には自ら国政改革を試み、1791年には憲法制定にこぎつけた。しかし、結局、列強はスタニスワフを廃位してポーランドを消滅させた。ポーランドは19世紀に入り、プロイセン支配下にあった地域をもとに、ワルシャワ公国、そしてボーランド立憲王国として国の形を取り戻すが、それも束の間、1830年頃にはロシアの直接統治の下に入ることになる。

この訳書には訳者のさまざまな工夫、配慮が感じられる。本来は章立てなどはないところ、訳者が小見出しを立ててくれているため、読んでいる箇所の全体構成の中での位置が分かりやすく助かる。訳注も適切で読む上での助けになる。巻頭の「はじめに」、巻末の「略解」、「参考資料」もよく配慮されている。巻頭にはまた、著者の肖像や参考図版、さらに訳者撮影のポーランドの古い街並みの写真が説明文とともに配され、どれも参考になる。訳者は、上述のより大部の『ポーランドの政府と法について』の翻訳も準備しているとのことで期待したい。

なお、本書(『分割されたポーランドを訪ねて』)の購入については、直接シス書店に問い合わせるように、とのことである。

18世紀初めのポーランド国王スタニスワフ1世の生涯も興味深い。彼の生涯を見ると、ポーランドが18世紀の初頭にも動乱を経験していたことがわかる。スタニスワフ1世は人生の後半をロレーヌ公として現在のフランスで過ごした。それについては、本サイトの「ナンシー」のページを参照されたい。

訳者の菅原多喜夫さんは、先に『ベルメールへの旅 四谷シモン・ポーランド展同行記』(愛育出版、2017年)を出版している。本サイトでの簡単な紹介記事はこちら

 

 

 

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